お茶農家
信太 昭光
エリア|頴娃町
出身地|千葉県
就農年|2008年
現在の経営状況(2024年9月現在)
収益
面積
5ヘクタール
設備
摘採機、防除機、管理機
(肥料散布機など)
※設備は当初と変わらないが、更新はしている。
碾茶工場
(同業者2名と共に株式会社藍として運営)
雇用
繁忙期に家族(妻、義父母、子ども2人)
の手伝い
結婚を機に鹿児島に移住し、元々経験のある飲食関係で職探しをしながら妻の実家のお茶農家を手伝うようになりました。半年くらい続けているうちにもう飲食関係で働く気持ちはなくなっており、本格的に農業に進むことにしました。農業をしていてよかったのが、子どもの学校行事に全部出られたことです。繁忙期は忙しいですが自営業なのである程度は時間の都合がつけられますし、農閑期になればかなり自由に時間を使えます。最近は子どもの手も離れたので九州を回る旅に行けたらと計画中です。
お茶は永年作物なので、野菜のように毎年植え付けをする園芸農業とは大きく違います。義父母からは野菜も勉強した方がいいと勧めてもらい、お茶の農閑期である12月~3月の間は指宿市山川町でスナップエンドウやソラマメをつくっている農家さんのところへ通うことにしました。野菜はやったことが反映されるのがわかりやすいので、作物の成長過程を把握できるようになりました。その翌シーズンは畑を斡旋してもらい自分で作付けから一連の流れを経験しました。園芸農業を2年経験したあとはお茶一本です。
1年目
収益
面積
4.5ヘクタール
設備
摘採機、防除機、管理機
(肥料散布機など)
雇用
繁忙期に家族(妻、義父、義母、子ども2人)の手伝い
約5年間義父母の手伝いを経験したあと、2008年に経営移譲をして茶畑を受け継ぎました。自分で決定権を持ち、防除や収穫のタイミングなど農作業の判断をすべて行うようになったのでたくさん失敗もしました。お茶の収量や品質には虫や病気が大きく影響します。防除するタイミングが遅れたりおろそかになったりすると、収量が減ったり、物が悪くて値段が安いものしか作れなくなることもあります。でも痛い目を見ないとわからないこともありますから。自分で経験しながら、失敗から多くを学んでいきました。
2年目
収益
面積
4.5ヘクタール
設備
なし
雇用
なし
機械の失敗も経験しました。お茶を摘む機械は刃の高さをミリ単位で調整できるのですが、欲張ってたくさん取ろうとしたり、逆にいいものを作ろうとしすぎて採算を考えないやり方をしてしまったりしたこともありました。
経営面では工場や問屋さんからの買い支えなどがあり、ありがたいことにずっと安定しています。もちろんその支えに報いるように、いいものを作らなければという思いも強くなります。茶畑を見て「ここだ」と思ったタイミングで適切な高さで収穫して、いい製品ができたときが一番嬉しいですし、農家としてのやりがいを感じます。
9年目
収益
面積
5ヘクタール
設備
碾茶工場の新設
(同業者2名と共に)
雇用
なし
2013年に同業者2人と法人化し、株式会社藍を設立しました。抹茶の需要増加に伴い、補助金も活用しながら2016年に碾茶の製造工場を新設。自分たちの生葉だけでは足りないため、周囲の農家にも卸してもらうよう協力を依頼しました。これにより、工場の稼働や農家との連携も重要な仕事になりました。
私の畑では2010年から碾茶を栽培し、2016年には100%碾茶に転換。転換時には被覆資材のバロン(※)購入に補助金を利用しました。茶畑は元々有機栽培でしたが、2016年に正式に有機JASを取得し、新たに増やした畑でも有機転換の補助事業を活用しています。
(※)バロンは1枚あたり2万円ほど
受け継いだ当初は精一杯で目標を立てる余裕がありませんでしたが、近年は良いものを作り、畑や経営を改善したいという意識を持っています。生葉を卸してくれる農家さんとは年に数回反省会を行い、伝え方に悩む日々です。用意する資料は1~2枚程度ですが、作成後も「こう伝えた方がいいかな」と考え直し、書き換えを繰り返しています。適切な言葉選びは本当に難しいですね。
今後、後継者不足でお茶の生産量が減少するため、卸したいと希望する農家さんは基本的に全て受け入れています。農家さんにしっかりお金を支払えるように続けることが、私にとって最大のやりがいです。
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